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夢想拼圖 1

ショウ・ルオ
10 /14 2014
もし、あなたが17歳で有名になって、21歳から23歳まで、どん底に落ちたら、また自分を信じて這い上がることができますか?
これは本当にあった話です。2005年 羅志祥は、人生のどん底から再出発し、10年の努力の末、ついに10枚の“夢のパズル”を探し出した。

羅志祥は歌手、司会、ドラマCMとその仕事の範囲を広げる超人気スターで、すでに《羅志祥猪式会社》、《羅志祥SHOW ON STAGE進化三部曲》、《羅輯課:24个媽媽教我的街頭智慧》などを出版している。

出番の一分前

“パパ、今日は絶対ここに来ているよね?”僕は暗闇の中で言った。トンネルのような一本の光の先に舞台が輝いている。そして観衆の叫び声が聞こえ、僕が出てくるのを待っている………

僕が初めて2005年に《愛的力量》コンサートを行ったのは、愛するパパが亡くなった年だった。

50年の人生は、本当に短かった。幸福な日々を楽しむにはあまりにも短すぎた。
 世界旅行に連れて行ってあげることも、コンサートを見せてあげることも間に合わなかった。

パパが発病したあの年、僕は芸能界でついにチャンスを得て、頑張り始めた頃だったが、僕は仕事を減らしてパパと一緒にいる時間を作りたかった。でも、パパはぼくにせっかくの機会を無駄にせず、絶対にあきらめずに仕事をやり遂げるように言った。あの一年、僕は本当に頑張った。頑張ってパパの悔いが残らないように心配させないように努力した。
僕は毎日仕事が終わるといつも病院に直行した。パパはいつもすでに眠っていた。僕はパパが日に日に痩せて行くのを静かに見ているしかなかった。毎回心が痛かった。
パパが逝く最後の日、僕たちはパパを病院に迎えに行って家に帰った。僕たち父子は最後の13時間を過ごした。

僕たちはたくさんおしゃべりをした。ほとんどみんな僕がしゃべっていた。小さいことから大きなことまでたくさんしゃべってはまた、ちょっとした話題を探し出して話した。なぜなら本当にとても別れがたくて短い時間だったから、いっしょに過ごしたいろいろなことがどれも忘れ難い…
……パパは静かに聞いていたが、僕はわかっていた。パパが僕と同じように当時の情景や初めて楽しんだこと、親子3人いつも仲良しで楽しかったことを思い返しているのだと。
“祥ちゃん、ごめんね!パパはコンサートをどうしても見に行けそうにないよ。”
パパは突然さえぎるように言った。

僕はわかっていた。パパは疲れていたんだ!一緒に病気と闘って、ずっと戦い続けるのはどんなに辛かったことだろう。
“パパ、先に行って世界旅行を楽しんでいてよ。僕はもっともっと頑張って仕事をするから。そしてしっかりママの面倒を見るから、心配いらないよ!”

パパが逝ってしまったあの時、僕の心は砕け散った。変わらず一生懸命仕事をしたが、僕の心はパパとさよならを言ったあの場所で砕けてしまっていた。今までぼくはこんな別れを経験したことがなかった。ただ静かにしているだけで、心が痛くて痛くて、でもすぐに無理やり自分を仕事に駆り立てた。毎日毎秒、本当にパパに逢いたくてたまらなかった。

2005年の《愛的力量》は、パパが僕に力をくれた。

僕はついに自分だけの舞台に立った。僕は力の限り歌って踊った。舞台の下の観客は楽しんで拍手と歓声を送ってくれた。でも、知らないだろう。ついに立ち上がった男が実は毎晩涙でぬれた瞳の中にずっと見ていたものを…当時初めてドラムをたたく舞台に立った男の子が緊張して泣いていたことを!そして傍には永遠に彼を見守っているパパがいたことを。パパは言い続けた。“祥ちゃん、緊張しないで,深呼吸……”

僕はずっと信じているパパがまだそばにいて、コンサート会場には必ず来ていると。

 明日は見てください。ドラムで涙を流していた男の子がパパに100点満点もらえるような男に成長した姿を
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shidu

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